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デビアスが南アフリカ国内での原石の採掘を中止したというウワサや報道がアントワープや イーダル・オーバーシュタインで流れています。 未確認情報です。私は、何人かの事情通に、私から直接に電話して、問い合わせただけで、 それ以上の確認作業をしていません。 けど、ありうる話ですから、心配です。南ア政府が、原石を南ア国内で研磨して、南ア国内 での安定的な雇用の機会を増やす目的から、「高品質な原石」の輸出を禁止したのです。 それに対応して、デビアスが原石の採掘を中止する選択をすることは、じゅうぶんに考えら れる選択肢です。 デビアスが掘らなくても、ほかの誰が掘っても、南アから供給される原石の金額は同じなん ですが、それでも、やはり、心配は心配です。 デビアスの原石鉱山は、カナダにもありますが、小さいです。南部アフリカ3国だけが庭の 会社です。その「カナメ」の南アに拠点を失うと、将来に問題があるかもしれません。 南ア以外のボツワナもナミビアも、地下資源大国なんですが、人口が、それぞれ、総合計で 数十万人しかいない地上人間小国です。 長い国境を接している人口数千万人の人口大国の南アや、北となりの民族強国のジンバブエ などからの政治的な影響は受けやすいです。 原石鉱山の寿命は人間の寿命ぐらいです。あんまり長くはないです。ボツワナやナミビアの 全鉱山も、人間にたとえたら、もう、すでに、青年期を通り越しています。 要するに、長年のあいだ、新規鉱山の開発を実行できていないデビアスの場合、鉱山会社と しては、長期的に、先細りするコースへ入っています。 いまの世界の原石供給額の半分ぐらいを供給している=世界最大で最強のデビアスが老朽化 していくことには問題があります。 デビアスが老いても、ロシアやリオティント鉱山が積極的に新規原石鉱山を開発していて、 続々と大成果を上げつつあります。 リオティントは、長期的には、デビアスを大きく超えるダイアモンド原石の鉱山会社に成長 する可能性があります。 けど、ダイアモンドのさまざまな問題の中には、デビアス1社が独裁的な帝王であったこと に起因する問題が多いです。 ですから、老舗の名門のデビアスも、老いても、ますます盛んに、有力な鉱山会社として、 存続してもらうほうが、ダイアモンド市場の将来のために、ベターでしょう。 過去の原石流通には、じつに、さまざまな不幸な暗い問題がありました。20世紀の人類に とっては、原石は最高にオイシイ「利権」だったからです。 原石産地の地下には、大量に眠っていて、それを掘れれば、モノスゴイ単価の市場価値で 瞬時にドルに換金できた「携帯性の高い小さなタダの石ころ」ですからね。 原石流通が自由化し民主化し公正取引化することは、世界の人類にとって、特に原石産出国 の国民にとって、画期的にスバラシイことなんです。 原石の鉱山会社の数は、適当に多いほうが、市場面からも、全世界の平和や公正や民主化や 繁栄の面からも、全ての面から、決定的に望ましいことでしょう。 ダイアモンドの相場には大波と小波があります。今回は大波の話をしています。もちろん、 大波、小波の他にも、さまざまな中間型の波があるでしょう。 今回、話している波は、構造的で、基本的な大波の動きです。いまから60年ぐらいも前の 時代から、1970年代の終わりまで、その大波の相場は「いっかんして」値上がりしつづ けてきました。 バブル時代の日本の不動産神話のように、ダイアモンドにも価格神話がありました。価格は 上がるけども、絶対に下がらない、という神話でした。 しかも、原石の大規模な供給者は世界中で=価格神話の中の神さまであった=デビアス1社 だけでした。 やがて、ダイアモンドの相場は、バブル崩壊の直前の日本の不動産や株式の相場のように、 値上がりの時代の最終段階=1970年代の末期には、大暴騰しました。 アントワープの銀行では、ダイアモンドを担保に多額の融資をしていました。ダイアモンド には不滅と信じられていた価格神話がありましたし、金利の高い時代でした。 アントワープなどの海外産地のダイアモンド会社を中心に、世界中の多数の会社や個人が、 原石や研磨石を買い占めたのです。 そして、バブル崩壊と同じように、大暴騰の直後の1980年からの数年間、ダイアモンド の相場は大暴落したのです。 借金してまでも買い占めていたダイアモンドの相場が大暴騰後に、値下がりに転じた瞬間、 世界の大多数は、あわてて、換金に走りましたから、相場は大暴落しました。 その大暴落が終って、ふたたび、相場の小波の値上がりが始まったのは、1985年11月 でした。 その後、小波は、上下を繰り返してきましたが、大波は、1980年から、2002年まで 「いっかんして」下がりつづけました。 1979年までの長年の値上がりの時代のなかで、ダイアモンド原石鉱山の新規の開発投資 が行われて、1980年代の初めには、オーストラリアのアーガイル鉱山(リオティント)、 南部アフリカのボツワナのジョワネング鉱山(デビアス系)が操業を開始しました。 いずれも史上最大の大鉱山です。さらに、旧ソ連の各組織からの原石と研磨石の大量な供給 が始まりました。 大暴落が始まって、需要が激減して、長年の買占めで大膨張していた過剰在庫の換金処分が 始まった市場のなかで、原石も研磨石も、供給が大幅に増えたのです。 そして、最近までの20年間以上のあいだ、ダイアモンドは慢性的な供給過剰の時代のなか で値下がりをつづけてきました。 その値下がりの時代のなかで、世界の市場の実需は、数量面では、増えつづけてきました。 たほうでは、デビアスの経営は破綻して、上場会社としてのデビアスは、消滅しました。 ダイアモンドの価格神話が生きていた時代には、デビアスの株式は、幸運に買えるチャンス があれば、絶対に、買っておいたほうが得であった=エキストラ・スーパー・デラックスの グレードの=神さまが発行したスーパー紙幣でした。 それが、為替レートの極端に低い=世界の最貧国の紙幣なみの=紙くずみたいな紙幣になり 下がったんですから、デビアスの健全な経営は成りたたなくなりました。 長いあいだ、デビアスは新規の鉱山の開発を実行しませんでした。そして、2003年ごろ から原石の供給が決定的に不足し始めたのです。 もちろん、原石相場は値上がりに転じました。かなり大幅な値上がり率です。けど、研磨石 の相場は、かなり後れて、小幅に値上がりしただけでした。 ジュエリーの相場は、その研磨石相場に、さらに後れて、さらに小幅に値上がりしました。 これが大波の現状です。 私は1973年4月1日から、日本の総合商社のバイヤーとして、ダイアモンドの研磨石の 海外産地からの仕入と販売の業務に参加しました。 「いっかんした」値上がりがつづいていた時代の最後の時代の1970年代は、原石供給が 不足していた時代でした。 買えたら、良い条件で、売れるのですが、良い条件で、買うのが超至難な時代でしたので、 まだ、未開発の大ソースだった=ソ連産研磨石の日本国内への「最初の本格的な大量輸入」 から、仕事をスタートしました。 そして、その石の流れができてから、さらに、新しいソースと情報を求めて、南アフリカへ 通い始めました。 その後は、7年間、原石のサイトに合わせて、1年間に、9回か、10回、東京から南アへ 通いましたから、飛行機に乗るのではなくて、飛行機を見るのも、イヤになっていた時も、 ありました。 私が、ダイアモンド屋としては、旧・ソ連生まれで、南アフリカ育ちです、と自己紹介する ケースがあるのは、このような事情があったからです。 羽田〜香港(ソ連産の研磨石を売っていました)〜コロンボ(スリランカ)〜セイシェルズ (飛行機の給油上の中継地なんですが、観光的にはインド洋のハワイ)〜ヨハネスブルグ〜 ロンドン。このコースを飛んだ回数は本人の私にも数えられません。 その後、仕事の進化に対応して、旅程も、羽田〜ボンベイ(いまのムンバイ)〜ナイロビ (ケニア)〜ヨハネスブルグ〜ロンドンに進化しました。 南アフリカのキンバレー鉱山の穴のなかの最先端へ入った回数も数えられません。ボツワナ のジョワネング鉱山へも何度か通いました。 ボツワナの(砂漠のなかの)オカバンゴの大湿原、ナミビアの海辺の石ころの美しい砂漠、 南ア南端の海の幸の美味いケープタウン(の白砂の紺碧の海辺)に近いワイン産地、いまに なっても、私には、この世界中で、イチバン美しい旅先であった、ように思われます。 買うのが難しい時代の環境は、買えたら、良い条件で売れましたから、優良な仕入ソースの 開発や、海外の外国人社会のなかで有能な仕事仲間を確保することなどの商品開発技術を、 私に与えてくれる結果になりました。 不健全で異常だった大暴騰が、事実上の極点に達した1978年の夏ごろに、私は大暴落が 接近しつつある危険を予感しました。 そして、海外産地の仕事仲間たちからの必死の強い要請もあって、1979年春ごろから、 海外移住の準備を始めました。 移住先の選定には、大いに迷いました。そして、アントワープを選びました。アントワープ からなら、将来に、さまざまな進路を選べる、と考えたからです。 上記の日本の総合商社との間には、1年単位で、自動更新の4月1日から3月31日までの コンサルタント契約がありました。 さらに、労働者としてではなくて、プロフェッショナルな事業家として、ヨーロッパへ移住 するためには、テマ・ヒマのかかる=さまざまな公式な手続きが必要でした。 移住したのは、大暴落が始まった直後の1980年4月でした。やがて、その大暴落の時代 も終わり、異常に過剰だった在庫も消えて、相場の小波が値上がりに転じたのは1985年 11月でした。ふたたび健全な生産の時代が始まったのです。 それまでの私は、当時のアントワープ最大の研磨工場の本社事務所に1室を借りて、ボスの 客人として、居候して、取次販売をやっていました。 新しい生産の時代の環境のなかで、私は、私オリジナルのダイアモンドを生産販売すべく、 日本から資金を調達して、自分自身が経営する会社を設立し、新事務所を開設しました。 けど、やがて、もっと、私にピッタリの開発領域がある現実に直面しまして、上記の仕事を 日本の他社に譲渡し、私は、ふたたび、自由な単身に、私自身を解放しました。 けっして、ダイアモンドにあきたり、イヤになったりしたわけじゃないんですが、たぶん、 「頑固に固い」ダイアモンドの「前世紀型の」宝石文化を卒業したくなったんですね。 そのころには、私が、日本人から、地球人へ、脱皮できた自信がありました。ダイアモンド よりも、もっと美しくて、もっと、人々や、私自身を、幸せにできる商品を開発できる自信 もありました。 それからの数年間は、大型高性能レーザー機械のセットで、ダイアモンドを彫刻する技術を 研究したり、ヨーロッパ各地のデザイナーたちとの交流を深めていました。 そして、静かに、十分に、時間を流して、私がアントワープを離れても、私を育ててくれた アントワープや親しい日本の方々に問題がないことを確認しました。そして、私はドイツの イーダル・オーバーシュタインへ移住しました。 私は、日本国非居住者ですが、日本のパスポートを持っている健康で善良な日本人ですし、 同じヨーロッパ合衆国内に無期限に定住していますから、ドイツへの公式な移住手続きは、 時間的には、簡単な作業でした。 必要な書類は、日本国パスポート、ベルギー国アイデンティティー・カード、ベルギー国の 健康保険証、現在の現金支払能力の証明、さまざまな年金の受給資格の証明書(要するに、 いまも、今後の長期的な老後も、ドイツ国に迷惑をかけないで、生きていける能力を持って いる事実を証明する証拠の提出=この場合、さまざまな年金受給資格が決定的に重要な資料 になりました。それがあれば、私なら、ヨーロッパの国内では、無事に円満に歓迎されて、 瞬時に、どこへでも、移住できるように推測できました。) 老後の人生が長くなっている=いまや、これからの時代には、若いウチから、慎重に計画的 に準備して、「さまざまな」年金受給資格を創りだし、確保しておくことが、意外なほど、 決定的に、重要である現実を、私は体験しました。 預金の準備も、退職金の準備も、必要ですが、各国のイミグレーションの役所の高官たちの 視点から見たら、現金預金は、消える時には、瞬時に、消えてしまうカネなんですね。役所 の高官たちの立場や視点にも、配慮が必要でしょう。 それから、人生には、さまざまな生き方や仕事のスタイルがあります。老後が長くなって、 国際化が進んでいる環境の中では、その生き方の選択の余地も、大いに広がってきているの ではないでしょうか? 若いころから、日銭稼ぎに徹して、カネを貯めこむ生き方も多いのでしょうが、心身の健康 や友人をふくむ=自分の能力を進化させて、その能力を貯めこむ生き方も、有望な生き方に なってきているような気がします。 モノスゴーク長くなってしまっている老後を、自分自身を進化させて、さらに、国際化させ ながら、健康に前向きに生きて、自分の進化を楽しむ生き方も、これからの時代の中では、 おもしろい選択かもしれません。 その場合、どうも、ダイアモンドには、石も文化も、地上でイチバン硬くて固くて、進化の 余地が少ない、ように思われます。 幸い、デザインは、高速に、無限に、進化できます。いまや、未来の時代のなかでは、市場 とは、商品の進化を意味します。 売れる事実=商品が進化できた事実です。進化できたら、売れますが、希少価値が伝統的な 希少価値のままでは売れません。 日本の若い方々には、デザイナーとして、進化すること、国際化することへ、もっともっと 本格的に、命がけで、関心を高められるように、お勧めします。 ダイアモンドの相場の大波は、1979年までは、「いっかんして」、値上がりしつづけて きました。その値上がりが、新規鉱山への開発投資を促進しました。 そして、長い長い値上がりの時代の末期には、大暴騰がありました。その直後には、大暴落 がありました。 大暴落があった1980年初頭の後も、相場の大波は、いっかんして、値下がりをつづけて きました。 ここで問題を提起させていただきたい事実なんですが、この長期的で慢性的だった供給過剰 の時代の=1980年代の後半から1990年代の前半の日本国内で、ダイアモンド相場に 関する情報の操作が、さかんに実行されていました。 たしかに、相場の小波は、毎月、毎週、あがったり、さがったりしていましたが、それは、 投機の対象になりやすい=「市場規模の小さな」商品の相場ですから、当然です。 けど、大局的な需給の動向とは、遊離して、あるいは、完全に無知のままで、末端の枝葉の 動向だけを過大に評価した「不可解で」「不快な」情報の操作が繰り返されました。 その報道に利用されていたマスコミのなかには日本経済新聞もありました。情報の発信源は ウチの業界の内部でした。 デビアスの取り巻き連中から、情報を受信して、それを、自分の都合の良いように加工した 情報を、日本のマスコミなどへ流していたのでしょう。 私には「生理的に」「不快きわまりない」情報だったのですが、日本の少なくない方々には 「信用されて」具体的な損害も発生したようですね。 今回の原石供給不足に関する情報も、2000年前後から、さかんに、流されていました。 発信者たちは、やはり、デビアスの取り巻き連中でした。 「新しい原石の鉱山への開発投資が実行されている」という情報には信憑性がない、そんな 鉱山は、「世界のどこにもないよ!!」という情報が、まるで、ヤクザの手口のハッタリの 脅迫のように、さかんに、繰り返されて、流されていました。 長年、あのハッタリの手口には、私は慣れ親しんできましたので、デビアスとリオティント の原石鉱山開発への長年の年間の開発投資実績の金額の推移を眺めながら、今日のような日 が来るのを待っていましたけど、海外の研磨産地には、恐怖感が蓄積されました。 デビアスから、特に、その取り巻き連中から、発信される情報には、問題が多いです。情報 が操作されていて、特定の会社や個人のカネ儲けの手段に悪用されています。 2005年の今のような時代になっても、日本には、デビアス・ブランドの熱烈な信者さん の数が「モノスゴク異常に」多いです。 ですから、情報面では、日本のダイアモンド業界に対するデビアスによる独裁的な支配は、 今後もつづくでしょう。 リオティントという会社の企業文化は、デビアスとは対角線上にあるモダンで民主的で自由 な企業文化のようです。 ですから、情報の操作のような反民主的で失礼で下品な行為は、大嫌いな会社のようです。 それから、純粋に、鉱山会社の経営の進化に「徹して」います。 デビアスみたいに、消費国での流通のあり方に、口を出してくるような経営スタイルの会社 じゃないみたいです。 とにかく、リオティント発の情報は、ひじょうに少ないです。原石の相場は、原石の市場に 決めてもらいましょう、という態度の会社に見えます。 デビアスは、相場の高騰や急落には、ベストを尽くして、対応してくれるから、相場は安定 してきた、という認識も、日本国内にありますが、そんな事実は、ダイアモンドの歴史には 実在しません。無知な信者さんの迷信にすぎません。 相場の動きは、市場内の需給関係が決めています。ただ、それだけです。それが当たり前の 科学的な事実なんですが、ダイアモンドも、決して、例外じゃありません。 ダイアモンド相場の大波の長年の慢性的な値下がり傾向は、デビアスの経営を破綻させて、 世界最大の原石供給ソースのデビアスの原石鉱山への開発投資金額を停滞させました。 たほうでは、長年の値下がり傾向は、数量面では、世界のダイアモンド消費実績をおおはば に伸ばしました。 もちろん、ロシアやリオティントの新規鉱山の開発は進んでいます。中国など、そのほかの 国でも原石鉱山の開発は進められています。 それでも、原石相場の大波は、2003年ごろから、値上がりに転じました。需給バランス の供給不足が、市場内の誰の目にも、ハッキリしたためです。 私は、大波の動きに、「いっかんして」という言葉を使いたがりますが、実際に、歴史的に 見たら、大波は、「いっかんして」、あがったり、さがったり、してきました。 1980年から、20年以上も、「いっかんして」値下がりしつづけてきた大波が値上がり に転じたからには、今後、かなり長いあいだ、大波は、「いっかんして」あがりつづける、 と考えるのが自然でしょう。 その大波のあがり方が「ゆるやか」であることを切望していますので、デビアスが直面して いる政治的な問題を心配しているわけです。 リオティントの積極的な新規鉱山開発の成果で、大波のあがり方が、「ゆるやか」で長期的 に安定的である、と期待できますので、デビアスが直面している問題が、「無事に円満に」 おさまりますように、切望しています。 いまの私の目の前には、さまざまな新宝石の開発計画が山積しています。宝石の開発には、 長い時間が必要ですから、大中小の「組織」には、向かない仕事です。 組織的に開発したら、コストも、リスクも、大きくなりすぎますので、結果的に、新商品の 販売価格が高くなりすぎます。 幸いに、良いサンプルを創りだせたら、まちがいなく、かならず、組織的に売れますので、 私の役割分担としまして、良いサンプルづくりに専念する必要に迫られています。 カネも、ヒマもかかって、「くたびれる」仕事なんですが、こんなに、おもしろい仕事も、 この世の中には、少ないでしょう。 しかも、ダイアモンドを素材に使うと、私の独壇場になります。宝石デザイナーさんたちに はダイアモンドの原石も研磨石も、自由には、取り扱えません。 たほうの超伝統的なダイアモンドの世界には、新宝石を創りだせる「モダンな宝石文化」を 持った人物が、いまのとろは、ゼロです。 いまの私の身辺には、有能で意欲的な宝石デザイナーさんが多数います。私は宝石の生産や 創造の技術や能力を世界でベストに組織化できる「経験豊富な熟練者」です。たぶん、いま の世界に実在している=ただ一人の「宝石クリエイター」なんでしょうね。 ただ、単に、日本人社会のなかだけでのベストでない事実が、長年、「世界の」宝石の業界 で生きぬいてきた私の自慢であり、値打ちなんです。 ダイアモンドだけの新宝石の計画も進めていますが、既存の「ふつうの」ダイアモンド原石 や研磨石と、半貴石やミネラルやメタルや陶器や磁器を組み合わせた新宝石のほうが種類数 がウーンと多いです。 やっぱり、アートの時代のジュエリーの素材は、適切に割安な値段で、じゅうぶんに大きな サイズである必要があるでしょう。 ジュエリー素材だけじゃなくて、時計の文字盤やメガネのワク、さらには、それらのすべて を超えて、食卓の上や、事務机の上や、床の間の上や、神棚の上の文化を大改革する新商品 も計画中です。 もともと、宝石は、人間の健康には、ベストな物質ですから、純粋に、純・科学的な根拠に 基づいて、素材を選定します。 サンプルが完成しましたら、ミナさまへ、直接に、あるいは、このサイトを通じて、ご案内 申しあげます。 |