「Fup/VVSupの小粒石は、もう、買えない?」

今回の写真はフランスのアルザスの山城です。バーゼルのフェアへ行かれる日本からのお客 さんを、クルマで、イーダルから、アルザスのホテルへお送りした帰途に、撮りました。

イーダルからアルザスまで、クルマで、片道3時間ぐらいです。いまのイーダルでは、日本 の空港発後に、2泊されたら、幾つかの宝石デザイナーのアトリエや、クラシックな宝石の 研磨工場を訪問して、十分に良い仕事ができます。

宝石デザイナーのなかには、昔風のフェアであるバーゼル会場へは出展しない連中のほうが 多いです。ですから、バーゼルの往路や帰路にイーダルへ立ち寄られる選択は、大いに得な 選択でしょう。

今年も、往路に立ち寄られたかたがたのなかには、すでに、日本へ帰国されたかたがたも あります。

そして、「もっと、イーダルで、じっくり、時間をかけて、仕事をすれば良かった、1日も 早くイーダルへ帰りたいです」などとEメールで、感想を言ってこられたかたもいます。

やっぱり、あいかわらず、バーゼル会場の商品は、昔のままで、新しい独創的なジュエリー を開発しようとされている日本の会社には、退屈だったんでしょうね。

写真のお城は、アルザスを南北に通過している高速道路のクルマの車窓からも、見えます。 今回の写真は、高速から、下りて、城へ近づいて、ヴォージュ山脈の山麓のブドウ畑のなか を走る「アルザス・ワイン街道」から撮りました。

オ=クニグスブール城(HAUT-KOENIGSBOURG=オート・ケーニヒスブルグと読まれるケースも あります)です。(フランスとドイツの国境地帯ですから、2つの国語で読まれます。)

アルザス平野を見下ろすヴォージュ山脈の西端の標高600メートルほどの丘の上に建って います。バラ色砂岩の巨大な城です。

ストラスブールの街を巻く環状線から南下して、1時間ほどで、コルマール(COLMAR)の街に 着きますが、その直前で、高速を下りて、右折し、ヴォージュ山麓のブドウ畑のなかの山里 へ向かうのが私のコースです。

山里の名前はリクヴィール(RIQUEWIHR)です。人口が1000人あまりの小さな山里ですが、 ヨーロッパの田舎では、イチバン人気の高い田舎です。

そこから、バスかタクシーで、コルマール駅まで行って、バーゼル駅へ電車で通勤するのが、 バーゼル会場へ通う方法です。

もう少し南のミュールーズのほうがバーゼル会場には近いですが、このあたりが、アルザス らしいアルザスの核心部分です。

物価が安くて、ワインや食べ物の味も、フランス最高で、じつに、愉快で、陽気な山里です。 長年のアントワープ住人時代の私には、アルプスの山麓やイタリアへの長旅の往路や帰路の 最適の休息地でした。

ここに泊まった回数は100泊以上なんですが、正確に何泊したのか、本人の私にも見当が つきかねます。

アルデンヌ高原、パリ、アルプスなどとともに、私のヨーロッパの故郷的な山里なんです。 ドイツのイーダルへ移住しようと考えていたときに、パリは遠くなるけども、アルデンヌも アルザスもアルプスも「ウーンと」近くなるな、と計算していました。

ところが、いざ、イーダルへ住みついたら、イーダルの周辺には、優良なワイン産地が無数 にあります。

アントワープ時代に感じていたアルザスやアルプス山麓のワイン産地への「強いあこがれ」 は薄らいでしまいました。

そして、自分の心が、どうなるのか、静かに、時間を流して、様子を見ていましたら、昨秋 ごろから、長年の私のヨーロッパ大陸内の心のテリトリーだったライン川の流域を超えて、 あのドナウ川を下ることに、関心を持ち出している事実に直面しています。

そして、昨秋は、とうとう、ドイツ国内の「黒い森のなかの」ドナウの水源を訪ねました。 ドナウもハンガリーの首都のブダペストあたりまでなら、ナジミがあるのですが、そこから 先の黒海までは、私には未知の世界です。

たぶん、ローカルな伝統カラーが強烈で新鮮な楽しいジュエリーに出会える予感がします。 いつか、黒海まで、ドナウ川を下ってみたくなっています。

ライン川とドナウ川は、ドイツ国内のイーダルから、あまり遠くないニュールンベルグの街 の郊外で、運河で結ばれていて、ライン川からドナウの河口の黒海まで、簡単に、エンジン つきの小型ヨットで、下れます。

いまでは、ヨーロッパ合衆国内で、道路事情も治安も改善されていますから、ドナウ河畔の さまざまな街から、レンタカーを繰り返して、訪ね歩いたら、ドナウ河畔の旅もスバラシク 楽しいだろう、と空想しています。

今回のバーゼル行きでは、面白い脱線がありました。日本から来られた会社のオーナーさん の息子さんが、オーナーさんに、同行されていたのです。

彼とは、彼が、他業界でのサラリーマン修行を終えて、親の会社へ入社する直前に、クルマ で二人だけでヨーロッパを巡回した経験があります。

ローレックスの時計を並行輸入したのです。その当時は、ローレックスのスポーツ・タイプ の時計が日本ではプレミアつきの値段で売れていました。

並行輸入も、ヨーロッパの卸会社や輸入代理店から買いますと、ホントウに、買いたい商品 「だけ」を買うことは不可能です。

買いたい商品「だけ」を買うには、ヨーロッパの多数の小売店のなかから、最適な街にある 最適な店を選んで、そこから買う必要がありました。

ですから、ヨーロッパの最適な街の最適な小売店を選んで巡回しましたので、かなりの長旅 になりました。

彼とは、久しぶりの対面でしたが、お互いに、気心の知れた間柄でした。私は、アルザスへ のクルマの旅の運転を彼にまかせたら、私はラクになる、と考えていました。

そして、長旅でしたから、イーダルを出発する直前に、念のためにクルマのギャレージへ、 立ち寄りました。

簡単に、クルマに問題がないのか、チェックしてほしかったからです。そして、できたら、 タイヤをウィンター・タイヤからサマー・タイヤへ交換してもらいたかったからです。

いまの私のクルマは、老朽化しています。ずーっと前に、このサイトでも紹介しましたが、 私が生まれて初めて買った中古車です。

いまから2年前の3月に、そのときに乗っていたアメリカ製のジープ型のクルマが、突然に 故障しました。

すでに、走行距離は20万キロを越えていました。それまでは、丈夫で、故障のないクルマ でしたから、突然の故障にはビックリしました。

アメ車だから、当然だ、と予測していなければならなかったんでしょうが、その前の3代の クルマは新車を買って乗っていて、ベンツ2代とBMW1代だったですから、30万キロを 越えて老いても、決定的な故障はなかったです。

それで、ビックリしました。幸い、たまたま、故障した場所が、ドイツの親しいジュエリー の工場の近くでしたから、そのジュエリーの工場のオーナーが使用中だったクルマを売って もらったのが、いまの私のクルマなんです。車種はBMW730iです。

あれから、2年たって、私のクルマの走行距離は合計で34万キロを越えました。2年間で 14万以上キロを走りました。

40万キロぐらいまでなら、問題ないけども、ぼちぼち、今年中か来年早々には、買い替え の時期だな、とミンナに言われています。

今年の2月のドイツの厳格な法律上の車検で、その後、3年間は、車検なしでOKの公式な 認可を取ったばかりなんですが。

1年間で、いまの私が運転するクルマは7万キロ以上も走るのなら、私の感覚では、もう、 消費税の高い新車を買う気にはなれないです。私が乗ったら、3年間で、新車の市場価値は タダ同然になりますからね。

けど、今後、私の人生では、私のクルマの走行距離は、長くなることはあっても、短くなる なんて、とうてい、考えられません。

高速性能や安全性や燃費効率が高くて、安い値段で買える「適当に古い高性能な中古車」を 買いたいと考えています。

幸いに、そんなクルマは、私の身辺には、イッパイにありそうです。今回の古い中古車での 経験から、ドイツ車なら、パーツは、即時に、安価で買えますから、パーツを、どんどん、 ヒマなときに、取り替えておけばよい、事実を確認できています。

その現場を、若い彼が、見てしまったものですから、彼は、ギャレージのオーナーと、名刺 を交換して、ドイツからの優良な中古車の日本への輸入販売に、ギャレージのオーナーが、 積極的に協力できないか、打診して、良い返事をもらいました。

彼は、まだまだ、若いオトコですから、ジュエリー会社を後継するだけでは、彼の人生は、 退屈すぎるのでしょう。

じつは、もう1つ事件がありました。アルザスからの帰路に、自宅の近くまで来て、高速を 下りて、地道へ入った後、地道の路上で、クルマが動かなくなってしまったのです。

急坂の登りのカーブの路上でした。その前から心配していたのですが、バッテリーの充電器 が故障しました。

イースター・ホリデーと、タイアの交換シーズンが重なって、ギャレージがメチャクチャに 忙しくなったために、私の心配なパーツの交換のタイミングを先送りしていたのです。

とにかく、クルマが動かなくなった場所が悪かったです。多数の他車には道路交通の重大な 障害になりました。

高原の森の中の田舎道でしたが、クルマの交通量は多くて、高速で走っているクルマの数も 多かったです。

ドイツには、ADACという、ヨーロッパではダントツに優秀で有能なクルマの故障の救援 システムがあります。すぐに携帯電話で呼びました。

けど、救援車が着くまでには時間がかかります。道路上から道路わきへクルマを移動させた かったのですが、急カーブの急坂の路上でした。

ちょっと、困って、クルマの後ろの路上に立っていましたら、つぎつぎに、多数のクルマが 止まってくれて、ミンナで、私の故障車を道路わきへ移動させてくれました。

ハンドブレーキをはずして、クルマを運転してくれたのは、若い女性の美人でした。彼女は ボーイ・フレンドと一緒のクルマに乗っていたのですが、助手席から、サッと飛び出して、 路上にいたオトコたちを指揮して、サッサと、かたづけてくれました。

私の故障車は道路わきにかたづきましたが、ADACの運搬車が着くまでには時間がかかり ました。私はクルマの後ろの路上に立ったまま、ADACを待っていました。

その間、じつに多数のクルマが、止まってくれて、私を激励しつづけてくれました。なにか 役にたてないか、しきりに、聞いてきました。

その中には、森をハイキング中の小さな子供たちだけの集団もいました。深い森の中の歩道 から私を発見して、わざわざ、寄ってきたのでしょう。

子供というよりも幼児といったほうが適切な幼い人間の集団でした。それでも、あるだけの 飲み物や食べ物を、私に差し出して、懸命に、私を助けようとしていました。

やがて、じゅうぶんに、落ちついてから、気がついたのですが、その森のなかの渓流ぞいに 「森の家」という宿泊と休憩の施設がありました。

このあたりの山里には、ハンティングやイワナ釣りや森林浴などの愛好家用の田舎ホテルが おおいのですが、もっと本格的な自然愛好家用の「山小屋」もおおいのです。

それが、私の故障車から遠くない森のなかにありました。そして、男女の青年や老人たち、 森の家で働いている若い女性たちなど、さまざまな人物が、一人ぼっちで、困り果てている 「かもしれない」外国人の見舞いに、かけつけてくれました。

ただ、場所を確認しにくい、辺鄙な遠方だから、到着するまでに時間のかかったADACを 待つために、浪費した1時間でした。

私の人生には、なんの価値もない、まったくのムダな時間でした。それが結果的には、私の 人生のなかでも、イチバン貴重な、かけがえのない時間に変わりました。

私は、あらためて、ドイツを知りました。ドイツの田舎の人々の健康で豊かであたたかい心 を知りました。

私のクルマのナンバー・プレートを見たら、このあたりの住人のドイツ人には、この故障車 の持ち主の日本人は、近くの地域住人である事実は、ハッキリとわかります。

私は、私が日本人として、ドイツの森や人々を愛していて、そして、私自身もドイツの森や 人々から愛されている現実を、実感しました。

やがて、ADACの運搬車は私と故障車をイーダルの上記のギャレージまで運んでくれて、 ギャレージは、ただちに、故障したパーツを取り替えてくれました。

今年のバーゼルでは、私は日本からの5名のお客さんを運んで、イーダルからアルザスまで を4日間で2往復しました。

そのミナサンが、このサイトを見ていただいていますから、ご報告しますが、私のクルマの 不調は上記のパーツの交換で、全快しました。タイヤも交換しました。

そして、クルマが全快しましたから、4月中旬には、ドイツ国内のドナウの上流が旧市街を 流れている美しい街の写真を撮りに行きます。

もちろん、2度のインド行きも、予定どおり、実行します。イーダルでの新宝石のデザイン や品質の改良も進めますから、ご安心ください。

ところで、ダイアモンドのFup/VVSupの供給不足問題なんですが、その問題はデビアスの 販売経路内だけで起こっている問題なんでしょう。

Fup/VVSupのカット品質のベストなラウンドやファンシー・ブリリアント・カットなどの 小粒石は、これからの値上がりの時代のダイアモンドのなかでは、有力な各社のオリジナル なジュエリー素材として、決定的に重要なダイアモンドです。

けど、この問題は、各社が、適切な戦略に基づいて、適切に対応したら、確実に対応できる 問題です。じゅうぶんに、解決できます。

いまのデビアスは南部アフリカ3国だけにしか原石鉱山を持っていません。その3国からは カラー品質の高い原石は、「もともと、ごくごく、わずかしか」産出されていません。

デビアスの社内のロシア産の原石などの高品質なカラーの原石の在庫は、すでに、売りつく されていて、ゼロに近い状態でしょう。

ですから、デビアスのサイト・ホルダーの研磨工場からは、高品質なカラーの原石の供給は 安定的に大量には期待できないでしょう。今後はゼロに近くなるでしょう。

もともと、デビアスのサイト・ホルダーである事実を自慢していたダイアモンドの会社は、 原石には弱いです。長年、安易に、過度に、デビアスに依存しすぎていましたから。

原石は、カネがあったら、誰にでも買える商品じゃないんです。長い時間をかけて修得した 高度な経験や戦略や技術がないと、原石を良い条件で買うことは、不可能です。

いまごろ、原石を買えなくなっているダイアモンド会社には、経営の戦略も技術も開発意欲 も欠落していたのですから、今後の供給には期待が持てない、と考えるべきでしょう。

経営とは人間です。人間が実行する仕事です。その人間的な頭脳や資質の面で欠陥があった わけですから、まだ、日本のミナさんが、期待しているのなら、期待するほうにも、問題が ありませんか?

ダイアモンドの原石事情が、いまのようになることは、ずーっと前から、分かりきっていた 事実でしょう。

その事実が分かっていなくて、あるいは、分かっていても、適切な対応が実行できていない のなら、それは、その会社や人物に、決定的な問題があります。

私だって、4年も前に、住み慣れたアントワープからイーダル・オーバーシュタインへ移住 したのは、ワイン産地の近くへ住むことだけが目的じゃなかったんですよ。

ダイアモンドや色石やミネラルや陶器や磁器を素材に使った新宝石や新しい宝石デザインの 開発が「どうしても、必要だ」、と考えたからなんですよ。

ドナウ川を下りたくなっているのも、高度な職人の技術だけで、アートのない、イタリアや スペインやポルトガルやギリシャなどへ行くよりも、ジュエリーの歴史の長い東ヨーロッパ 諸国やロシアを志向したほうが、新デザインの開発力が強化される可能性が高い、と考えて いるからなんです。

私のドイツは「ドイツ宝石街道」が結んでいる高原の中の多数の山里です。宝石デザイナー の住む山里です。新しい宝石アートが開花しつつある山里です。

いま、宝石ルネッサンスが起こりつつある山里です。古い宝石の街である暗い谷間のなかの イーダル・オーバーシュタインじゃありませんよ。

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